ダニング・クルーガー効果(Dunning–Kruger effect)

 ダニング・クルーガー効果はやっかいな代物である。本人は何も疑っていないのだから、それを傍からどうこうと言えないし、言ったとしてもなんら変化をもたらすものではないからである。

 そもそも、ダニング・クルーガー効果とはなんであるかを簡単説明しなければいけないだろう。バートランド・ラッセルの言葉を借りるならば、「いまの世の中の問題は、愚か者が自信を持ち、賢者が自信を失っていることである」となる。すなわち、能力も実績も無い人が根拠のない自信を持ち、時には他人に対して攻撃的になってしまう現象である。

 こんなコマーシャルがある。

男A「おれはやればできる人間団だぞ」

男B「兄貴、さすが~」

数十年後、年老いた声で

男A「おれはやればできる男だったんだぞ」

男B「あ、兄貴、さすが~」

 まさにこれであろう。このコマーシャルの例では本人が人生の中で何もやり遂げることなく、口先だけの妄想癖を持った人として生きてきただけであって、誰にも迷惑をかけていない様に思えるゆえに、大きな問題ではなかろう。

 しかし、巷、特に昨今のネット社会では、ダニング・クルーガー効果に起因すると思われる炎上という現象が頻発している。自分が正しいと思いこんでしまうと、異なる意見に対して盲目的な攻撃を行う。これにより起こる折り合うことのない意見の対立、あるいは単なる言いっ放しの“放言"とでも言えば良いだろうか。

 これらの炎上の特徴の1つとして、自分の意見が間違っていたとしてもそれを認めず謝らないということがあげられる。おそらく、最後の最後まで自分が正しいと信じて疑わないのであろう。

 話は変わってしまうが、それが今の就職活動にも現れてしまうことがある。大企業ばかりの志望し、中小企業や自分が良いとは思わない企業には見向きもしない学生がいる。自分は大企業や優良企業こそふさわしい人間であると信じているからこそ、傍から見ると軽挙妄動ともいうべき不毛な就職活動をしてしまうのである。ちなみに、こういった学生が登場してしまう背景には、"叱らない”とか"順位をつけない”といった今も教育現場にはびこる「萎縮」を発端とする「教育への悪しき市場原理の導入」がある。誤解を恐れずに書いてしまうならば、教育を受ける側に「お金(税金や授業料)を払っているのだから、それで叱られるのはおかしい」といった意識があり、それはまるで「お金を払ってものを買っているのだから、対価を得るのは当然の権利」と主張する人がいる。そういった市場原理は本来は教育にはそぐわない概念なのだろう。しかし、価値観の画一化が進む現在では、アウトロー的な意見は抹殺される運命であろう。

 話はそれてしまったが、様々な環境要因が生み出したのが、ダニング・クルーガー効果ではなかろうか。かつては子どもに特有であった全能性を持っているという幻想を、そのまま持って大人になってしまい、それが否定されないように他人を攻撃してしまう。挫折も教育の一部として認知される日が来るかも知れない。